講演者プロフィール

 

九州大学 工学系研究院 化学工学部門

准教授 井藤彰

<略歴>

2000年 名古屋大学大学院工学研究科博士課程後期課程 入学

2000年 日本学術振興会特別研究員(DC1

「磁性ナノ粒子を用いたがん温熱療法の開発」

2001年 名古屋大学大学院工学研究科博士課程後期課程 修了

2002年 日本学術振興会特別研究員(PD

2002年 名古屋大学大学院工学研究科 助手

「磁性ナノ粒子を用いた再生医療技術の開発」

2006年 九州大学大学院工学研究院 助教授

現在に至る

 
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


<プロフィール>

1975823日 岡山県(井原市)で生まれる。その後、父の転勤で名古屋→茅ヶ崎→群馬(太田市)→横浜と移り住み、

大学受験で名古屋大学へ。現在、福岡市に在住(海と山と都会に囲まれた良いところです。)

趣味:フットサル&美味しいものを食べること(バランスが崩れないようにしなくては・・・)。

■研究テーマ

工学部発の医療技術の開発を目指して研究しています。具体的には、磁性ナノ粒子を用いた癌治療法および

再生医療技術の研究開発を行っています。

■所属学会・協会等

日本生物工学会、化学工学会、日本癌学会、日本再生医療学会、日本分子生物学会、日本動物細胞学会、

日本ハイパーサーミア学会、バイオインダストリー協会

■資格・所属等

日本ハイパーサーミア学会学術委員。日本動物細胞学会JAACT2008実行委員(国際学会JAACT200811/24-27

福岡で開催されます。是非、ご参加下さい。大会HP: http://jaact2008.jaact.org/index.html

 

<著書・論文等>

1) Ito A et al. Medical Application of Functionalized Magnetic Nanoparticles, J. Biosci. Bioeng., 100(1):1-11.

Review, 2005.

2) Ito A et al. Cancer Immunotherapy Based on Intracellular Hyperthermia Using Magnetite Nanoparticles:

a Novel Concept of “Heat-Controlled Necrosis” with Heat Shock Protein Expression, Cancer Immunology

and Immunotherapy, 55(3):320-8, Review, 2006.

 

講演概要

 

大学教員として就職することは、一般企業への就職以上に、人それぞれでかなりケースが異なると思います。

私の場合、大学受験時にバイオに興味を持ち、当時新設だった名古屋大学工学部生物機能工学科を選びました。

 

学部4年生で小林猛教授の研究室に配属になり、もともと興味を持っていた医工学系の研究課題であり、内容も

分かりやすい「癌の遺伝子治療」のテーマを選択しました。博士課程の先輩が上についていたので、ただ言われたことを

やっていましたら、卒論も近いある日に先輩に投げ出されて、焦りました。焦って、うまく実験する方法を考えました。運良

く良い実験条件を見つけることができて、卒論を終えることができました。この成功体験が転機の一つかもしれません。

 

修士課程では「癌の温熱療法」の中心的なテーマを任されることになりました。当時、温熱療法をすると腫瘍免疫が

活性化される現象がみられていたことから、教授からメカニズムを調べるように指示されました。免疫賦活のメカニズム

と言われても全くの素人でしたので、ますは論文を読みあさりました。その膨大な情報の中から、自分の系で考えられる

機構を組み立てていって、研究仮説をつくりあげました。その作業における興奮は今でも覚えており、これもこの職業に

就く転機です。また、実験は医学部の専門家の先生の所に修行に行かせて頂き、良い経験ができました。

 

そして、同級生が就職活動の話をし始めたとき、私も迷いましたが、自分の立てた作業仮説で腫瘍免疫のメカニズム

を解明したい(研究を完遂させたい)という想いがありましたので、博士課程に進学しました。博士課程では自分の描いて

いた研究計画をそのまま学振の申請書にのせることができ、幸運にも採択され、楽しい研究生活を送ることができました。

 

当時小林研には助手の先生が2人おられたことから、助手になることは考えていませんでした(どこかの企業か研究所

に就職しようと思っていました)が、相次いでご栄転されましたので、急遽、助手に採用して頂きました。この時は、あまり

にも急遽だったため、悩む暇も与えられませんでしたが、明らかに人生が変わったと思います。

その日は、忘れもしない2001911日でした。